東京高等裁判所 昭和51年(う)2275号 判決
被告人 小林正竹
〔抄 録〕
右に述べた本件「バカラ」賭博(編者注・主宰者がディーラーとなって、客をプレイヤーサイドとバンカーサイドにわけ、両サイドにトランプカード二、三枚を配り、末尾う数の多いほうを勝として、賭金の倍額が支払われるが、両サイドの数が一ないし五の同数のときは、「タメ取り」として、ディーラーが賭金の全部をとる。他面、ディーラーは、両サイドの賭金が一致しないときは差額を負担し、別に「タイベット」と称する賭博が設けられ、両サイドの数が零ないし同数になったときには、賭者に賭金の八倍を払うという危険を負担する)の方法およびそれにいたる経緯とその状況に徴すれば、被告人は、本件賭博場を開張して、「タメ取り」により利益を図ったもの、すなわち、賭博場開張の対価をえたものといわなければならない。なるほど、原判決のいうように、本件で、被告人は、ディーラーとして、両サイドの賭客の賭金が一致しない場合にその差額を負担することがあったのであり(反面その差額を取得することもあった)、またタイベットによる賭金の八倍を支払うという危険もあった(反面その賭金を取得することもあった)。しかし、被告人は、そのような負担や危険があるとしても、なお多額の利得がえられることを見込んで本件賭博場を開張したのであり、実際には、両サイドの賭金やタイベットの賭金の額を一定限度におさえたり、両サイドの賭金の額があうようアドバイスしたりしながら、ディーラーの危険ができるだけ少なくなるようにしているのであって、両サイドの差額負担やタイベットによる危険は、「タメ取り」による利得が賭博開張の対価たる実質を有することを左右するものではない。このように考えれば、被告人が「タメ取り」をしたことを目して概して自己に有利なルール・方法で勝負に参加する賭博的性格のものとすることは相当でない。したがつて、賭博開張図利の公訴事実を否定して無罪の言渡しをした原判決の部分は刑法一八六条二項の「図利」についての解釈・適用を誤り、事実を誤認したものというべく、その誤りは判決に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由がある。
ところで、本件公訴は前示の賭博開張図利とそれにともなう常習賭博が併合罪の関係にあるのもとして提起されたのに対し、原判決は前者を無罪とし、後者を有罪としているところ、控訴申立書によれば原判決の全部について控訴があったと解されるから、その有罪部分につき職権で判断する。原判決の罪となるべき事実だけでは、被告人のどのような行為をとらえて賭博とするのか必ずしも明らかでないが、原判決の無罪部分に関する説示、公訴事実および証拠に、当審における検察官の釈明をあわせ考えれば、それは、被告人が、賭客と同じ立場で、両サイドやタイベットに金銭を賭けて勝負を争つたというのではなく、ディーラーの立場で、前示のように両サイド間の賭金の差額を得喪したりタイベットにおける賭金を得喪したりすることを目して賭博行為としているものと解される。しかし、この両サイド間の賭金の差額負担やタイベットにおける危険負担は、被告人がディーラーとして本件の「バカラ」賭博場を開張したことにともなう必然的なものであつて、その自由な意思にまかされたものではない。それゆえ、被告人によるその負担等が賭博行為といえるかについては問題があるが、この点はしばらくおくとして、そのディーラーとしての負担等は、右に述べたようにディーラーとしての役割に必然的にともなうものであって、本件で賭博開張図利の事実が認められる以上、これにふくめて評価がされるべきであって、別個に(常習)賭博罪として可罰性をもつものではないと解するのが相当である。
(柏井 渡邊 中西)